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2010-08-01

カンカン帽

先月は書けませんでした
毎日本当に危険な暑さですね日焼け止めも意味がないのではないかと思うくらいです。
元気ですがあまり日中は出歩いていません。
娘がとても早起きな時は日が昇る前に連れて散歩したりしていますが、
それでもすでに外は暑いですね、日が沈んでもしかり。
朝6時頃よりも5時頃の方が散歩してる人がたくさんいます。
昼間出なければならない時は、むぎわら帽子がかかせません


私は去年の春、誕生日にかねてから欲しいと思っていたカンカン帽を、巣鴨の渋い帽子屋さんまで行ってやっと手に入れました。
数年前から友達の男の子のミュージシャンが2名ほどかぶっていて、
すごく羨ましくて売ってるお店をたずねておきました。
本当に高級なものは数万円して、真っ白な麦わらで本当にカンカン!!に固いのですが、
私のはお手ごろ価格でそこそこ固い物です。
もちろん男性がかぶる帽子なので男物しかありませんが、
男物のハットを女性がかぶるのがちょっと好きで探していたんです。
それは昨今の流行で中折れ帽は定着したかな…
私は歌う時は時々シルクハットをかぶっていますが
去年はカンカン帽を夏中ワンピースやマリンっぽい服装などに合わせてずっとかぶっていました。
去年も暑かったから本当に大活躍でした。(写真は去年の私ですが…)

090608_1245~01



でも、男物ってやっぱりちょっと大きいし、なにしろカンカン帽なので帽子のツバも丈夫でカンカンに固いからちょっと狭いところを通ったりしてツバがぶつかるとけっこう痛いんです。
慣れるまでそれが気になったかな。
外国人の頭向けは楕円形で、日本人向けのはほぼ丸い。
もちろん日本人向けのを選びました。
本当に帽子通な人は、時々帽子屋でハットバンド(リボンの帯)を張り替えて楽しんだりするそうなんだけど、私のは黒いリボンのままです。


ウィキペディアで見たら、こう書かれていました。

水兵や船の漕ぎ手のために作られた帽子が発祥とされている。
海や川の水しぶきで帽子が柔らかくなって損傷するのを防ぐため、
麦藁を平たくつぶして真田紐のように編んだ麦稈真田(ばっかんさなだ)などの素材をプレスで固く成型し、ニスや糊などで塗り固めることにより軽くて耐久性のある帽子となっている。
日本では明治の末から流行りはじめ、大正に入ると洋装・和装問わずカンカン帽を被るスタイルが大流行し、昭和初期まで流行は続いた。
叩くと「カンカン」と音がするほど固い帽子であることからカンカン帽という俗称が定着した。
当時は「紳士たるもの外出時には帽子を着用するものだ」というのが常識であったため成人男性の帽子着用率は非常に高く、特にカンカン帽の人気は高かった。職場においても、夏場の正装として受け入れられていたようである。
50銭から2円ぐらいまであり(昭和初期ごろ)、安いものは太くて黄色い麦わら製、高いのは細くて真っ白な麦わらが細かく硬く編んであって、一目で値段がわかった。 大体ひと夏で使い捨てするものだったらしい。

カンカン帽・1    カンカン帽・2




そしたらどうでしょう、今年春ごろからなにやら女子(特にギャル系の?)の間でカンカン帽が大流行していて、その辺のお店でホントどっこででもお安く売っています。
びっくりしました。
あんなに探して手に入れたものが今はどこにでも溢れている…
しかも女の子の小さな頭にちょうどいい大きさの可愛いめサイズのが。
それでソフトなストロー素材で…て、それじゃカンカン帽じゃないじゃん!
ようはてっぺんが平らな麦わらが流行ってる感じ。
素材も色々でリボンも可愛くって色とりどりで…
ちょっと悔しい感じがしてしかも流行りすぎでかぶってるのが少々恥ずかしい…
流行が去るとよけいにそんな気がしてとてもイヤです。

カンカン帽・3


でも、いわゆる普通の麦わら帽子よりは田舎っぽくないし、
ほどよいツバの大きさでちゃんと日よけになるしなにしろ麦わらだから涼しいし…
なぜ今年流行ったのか知らないけど( こんな風 に書いている方もいらっしゃる)、
「カンカン帽」の名前すら人々は忘れていたというのに
今年はどこででも見かける帽子の王様なのです。


これは明治大正時代のおてんばな女学生が袴とブーツをはきだしたのと同じで、
黒船レディ的には非常にほほえましい流行なのでした。
帽子屋さんが忙しいのもいい感じがします。
それでもシルクハットや山高帽はこんなに流行れないだろう…


たぶん私は来年もカンカン帽をかぶってるんじゃないかな。。。
おしゃれっていうか今は暑すぎて夏の必需品になりつつあります
やはり男物でちょっと大きいので良かったかも。
機会があったらハットバンドを替えてみたい


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プロフィール

水林 史

  • Author:水林 史
  • 富山県、上市町 出身。
    戦前から続く富山の薬売りと東京で銭湯を営んでいる一族のもとに生まれ育つ。
    大学時代より東京〜横浜などでスウィングジャズと日本語ジャズを中心にライブ活動を開始(1999年〜)。

    作詞作曲に目覚め、初主催ユニット「ギヤマン」を結成(2001年~2002年)、明治大正時代の文化や竹久夢二の描く夢二式美人に憧れがあったことから「黒船レディ」と名乗り始める。古き良き時代の洋楽を自作の日本語詞でも歌う。

    2003年ジプシースィングギタリストのキヨシ小林氏の1stアルバム「Django Swing」にボーカルで参加、「上海」「胸の振り子」などのカヴァーで注目される。
    同年、自身が主宰のバンド「黒船レディ と 銀星楽団」を、ピアニストの廣田ゆり氏、ギタリストの塩川俊彦氏と共に結成。
     
    軽やかでほのぼの、ちょっぴり切なくスウィンギーでハッピーな気分にさせる歌が得意。
    スウィングジャズやラテンのリズムをベースに、ユニークな世界観をもり込んだオリジナル曲から、古いジャズソングに自身が日本語で作詞したもの、日本やハワイの古き良き時代の流行歌のカバーなど、日本語で歌うことにもこだわっている。


    「黒船レディと銀星楽団」ではライブハウスの他にホテルやBAR、横浜港の船上、人形劇場から神保町の古本屋まで様々な場所で演奏。3枚のアルバムとライブDVDを発表、TV番組挿入曲や海外のCMにも起用される。
    2009年末で「黒船レディと銀星楽団」及びバンド活動休止。

    育児休暇を経て、2011年〜2017年までアコースティックユニット「girafe」にボーカルで参加、アルバム「春のスケッチ」を発表。

    2012年〜活動拠点を出身の富山県に移し、ゆっくりソロ活動も開始。県内外のミュージシャンと共にライブハウスやカフェ、古本屋、保育園などで演奏、おとなとこどもで楽しめる企画「HOWA-HOWA-HOUR」も誕生。
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