2016-02-29
うるう年、でしたね〜 2月は、いろいろありました。
うるう年でしたね。
ブログもfacebookもしばらく更新していなくて、ご心配おかけしたかも知れないです、ごめんなさい💦
先々週、父が突然亡くなりました。
66歳の若さで。
倒れたその直前まで、何事もなく元気でしたが、そんな突然というものは、やはり誰にもあるものなのですね。私も母も家族も…何だかまだ実感がわきませんが。
先にしっかり現実を受け止めたのは、娘のようでした。
いつも可愛がってくれた大好きなおじいちゃんが、急に居なくなって、私は娘になんて伝えようか…
ショックと不安に苛まれないか心配でしたが、ありのままきちんと説明しました。
命は、ずっとずっと昔のご先祖さまから、リレーのバトンをもらうように続いていて、曾祖父母に、祖父母に、父と母に、そして自分に、命のバトンが渡されたんだよ…
だから、全てなくなっちゃうわけじゃくて、体とはお別れなんだけど、命はずっと続いていくんよ。
という話をしてみていました。
すると、完全ではないかも知れませんが、
「うん、わかったよ! おじいちゃん死んじゃったけど、寂しいけど、今のおじいちゃんの、お顔の周りが綺麗な花でいっぱいで眠ってるお顔を、絵に描くよ。」
と言って、すぐさまクレヨンで描き出し、
葬儀の間じゅうずっと、それを胸に掲げて歩いている娘でした。
そして、別れの時も、素直に泣き、たくさんありがとうを繰り返していました。
私が心配したよりもずっと、しっかり受け止めている様子でした。
幼少期に、身近な人の死を私は経験していませんが、幼くても、その出来事に出会った時が試練なのであって、人は乗り越える力を持っています。パートナーをなくした母にとってもそうですが、辛い気持ちばかりにならないように、支えてあげられたらなぁ…としみじみ思いました。
父の死から、ちょうど1週間後、娘は6歳の誕生日を迎えました。
従兄弟たちも来てくれて、例年通り賑やかにお祝いしてやれました。
夏にオーダーしていたランドセルもようやく届いて、それを見せてあげられる筈でしたが…
孫娘の小学校入学をとても楽しみにしていてくれたのになぁ。
父は、既に前から孫娘の誕生日プレゼントを用意してくれていました。
父からのメッセージを、母が代筆して、孫に贈ってくれました。
そして、大人になってから喘息の持病がある私には、常々、こんな咳に効きそうなものを見つけた!と言っては、試してみろ。と、いろいろ調べたり、飲み物を作ったり、と心配してくれて。
昨日もまた、私の身体に良いはず…と購入していた健康食品が届いていました。
短気なところもあったけど、いつもさり気なく優しい人でした。
「いい加減安定した生活をしろ」と言いつつも、いつも、陰ながら私の音楽活動を応援し続けてくれました。本当に感謝しています…
私は両親とは16年離れて暮らしていましたが、子育てを期に富山へ戻り、4年間父と一緒に過ごせました。
何か特別親孝行できたわけじゃないけど、とても穏やかでいい日々を過ごして来られたのは、本当に有難かったと思います。
父が亡くなるほんの10日前、突然に思い立って家族で久しぶりに行けた温泉旅行が、不思議なくらい、なんとも感動的で、一生忘れられない素敵な思い出になりました。
山登りとスキーが大好きで得意だった父。
まだ孫たちとそれらを一緒に出来ていませんでした。私が代わって教えてあげたいなぁ。
あまりに早すぎて、まだまだ母と共にやりたい事がたくさんあっただろうけど、これまでいろんな事を乗り越えて人生を楽しんでいたから、幸せだったな、と思えています。
私が小学生の頃、激務で全く学校へは来れなかった父を、私は作文に
いつも優しく見守ってくれるお父さんは、私の太陽になったよ
と、書いた事をふと思い出しました。
ほんとに、そうなったなぁ。
これまで、父と直接、または私を介して関わってくださった皆さま、また、わざわざ温かいお気持ちをくださいました皆さま、本当にありがとうございました。
心より感謝とお礼を申し上げます。
長文になりましたm(_ _)m
次の記事では音楽の近況をご報告したいと思います♪
4月1日夜に富山でのライブの予定もありますので、また是非、遊びに来てください。
お会いできるのを楽しみにしています❗️
ブログもfacebookもしばらく更新していなくて、ご心配おかけしたかも知れないです、ごめんなさい💦
先々週、父が突然亡くなりました。
66歳の若さで。
倒れたその直前まで、何事もなく元気でしたが、そんな突然というものは、やはり誰にもあるものなのですね。私も母も家族も…何だかまだ実感がわきませんが。
先にしっかり現実を受け止めたのは、娘のようでした。
いつも可愛がってくれた大好きなおじいちゃんが、急に居なくなって、私は娘になんて伝えようか…
ショックと不安に苛まれないか心配でしたが、ありのままきちんと説明しました。
命は、ずっとずっと昔のご先祖さまから、リレーのバトンをもらうように続いていて、曾祖父母に、祖父母に、父と母に、そして自分に、命のバトンが渡されたんだよ…
だから、全てなくなっちゃうわけじゃくて、体とはお別れなんだけど、命はずっと続いていくんよ。
という話をしてみていました。
すると、完全ではないかも知れませんが、
「うん、わかったよ! おじいちゃん死んじゃったけど、寂しいけど、今のおじいちゃんの、お顔の周りが綺麗な花でいっぱいで眠ってるお顔を、絵に描くよ。」
と言って、すぐさまクレヨンで描き出し、
葬儀の間じゅうずっと、それを胸に掲げて歩いている娘でした。
そして、別れの時も、素直に泣き、たくさんありがとうを繰り返していました。
私が心配したよりもずっと、しっかり受け止めている様子でした。
幼少期に、身近な人の死を私は経験していませんが、幼くても、その出来事に出会った時が試練なのであって、人は乗り越える力を持っています。パートナーをなくした母にとってもそうですが、辛い気持ちばかりにならないように、支えてあげられたらなぁ…としみじみ思いました。
父の死から、ちょうど1週間後、娘は6歳の誕生日を迎えました。
従兄弟たちも来てくれて、例年通り賑やかにお祝いしてやれました。
夏にオーダーしていたランドセルもようやく届いて、それを見せてあげられる筈でしたが…
孫娘の小学校入学をとても楽しみにしていてくれたのになぁ。
父は、既に前から孫娘の誕生日プレゼントを用意してくれていました。
父からのメッセージを、母が代筆して、孫に贈ってくれました。
そして、大人になってから喘息の持病がある私には、常々、こんな咳に効きそうなものを見つけた!と言っては、試してみろ。と、いろいろ調べたり、飲み物を作ったり、と心配してくれて。
昨日もまた、私の身体に良いはず…と購入していた健康食品が届いていました。
短気なところもあったけど、いつもさり気なく優しい人でした。
「いい加減安定した生活をしろ」と言いつつも、いつも、陰ながら私の音楽活動を応援し続けてくれました。本当に感謝しています…
私は両親とは16年離れて暮らしていましたが、子育てを期に富山へ戻り、4年間父と一緒に過ごせました。
何か特別親孝行できたわけじゃないけど、とても穏やかでいい日々を過ごして来られたのは、本当に有難かったと思います。
父が亡くなるほんの10日前、突然に思い立って家族で久しぶりに行けた温泉旅行が、不思議なくらい、なんとも感動的で、一生忘れられない素敵な思い出になりました。
山登りとスキーが大好きで得意だった父。
まだ孫たちとそれらを一緒に出来ていませんでした。私が代わって教えてあげたいなぁ。
あまりに早すぎて、まだまだ母と共にやりたい事がたくさんあっただろうけど、これまでいろんな事を乗り越えて人生を楽しんでいたから、幸せだったな、と思えています。
私が小学生の頃、激務で全く学校へは来れなかった父を、私は作文に
いつも優しく見守ってくれるお父さんは、私の太陽になったよ
と、書いた事をふと思い出しました。
ほんとに、そうなったなぁ。
これまで、父と直接、または私を介して関わってくださった皆さま、また、わざわざ温かいお気持ちをくださいました皆さま、本当にありがとうございました。
心より感謝とお礼を申し上げます。
長文になりましたm(_ _)m
次の記事では音楽の近況をご報告したいと思います♪
4月1日夜に富山でのライブの予定もありますので、また是非、遊びに来てください。
お会いできるのを楽しみにしています❗️
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