2010-04-01

生誕100周年

090408_1727~01

今日は4月1日、エイプリルフールですね。
何か素敵なウソをつきましたか…?
日記では家族の話ってあまり書かないんですけど、
今日は10年前に亡くなった祖父の100回目の誕生日なので書いておこうと思います。
でも祖父の事は以前1度書いたかな?


有名なとか好きなミュージシャンとかの生誕100周年とかでもなんでもありません、
でも、私が大正、昭和初期の文化に興味を持ったのは祖父の若い頃の話がきっかけです。


祖父は1910年、明治43年 富山の山奥で生まれましたが、超未熟児だった為に親は多分育たないだろう…と出生届を出さずにいました。現在ではやってはイケないことですね(汗)
でも、小さくても生命力のあった祖父は、みるみるうちに大きく元気に育ってきたので、
だいたい普通の赤子の大きさになって、きりの良い4/1に出生届けを出したそうなのです。
本当の誕生日は2月で、祖父本人も何日なのか知りませんでした。
4月1日がウソの誕生日だなんて…と私は最初少しかわいそうに思いましたが、
祖父は全く気にしていないしエイプリルフールも知らなかったし、
むしろ身体が小さいのに生命力があったのを自慢にしていました。
昔っていいかげんだったんだな~と思いながら聞いていました。
というか、今に比べて子どもはたくさん生まれても育つには厳しい時代だったんですよね。


そんな祖父は11歳の時に東京へ行き、浅草の業平橋で銭湯を営む叔父のもとで働きながら勉強し、たまの休みの日に賑わう浅草の街を歩いた話をよく聞かせてくれました。
ほとんどが苦労話なんだけど、関東大震災で無くなる前の凌雲閣(十二階)や、 
手でハンドルを回してエンジンをかける自動車に乗った時の話とか、独立して自分の湯屋をもった時の話、初めて外国人(白人と黒人)を見て驚いた時の話、初めて背広を仕立てた時の話、戦争で中国に行っていた時の話…
戦後富山に帰ってきてくすり屋になってからの話…
とても苦労してきたんだけど、いつもユーモアたっぷり(ちょっと天然も入っていた)に話していました。


祖父の話から昔の東京の様子や今とは全く違う考え方や生活、文化が面白くてしょうがなかったです。それらはどんどん姿を消していって身近で感じるのは難しくなってしまいましたが、祖父を通して触れられたものに沢山影響をうけて今日の私があります。


祖父のことを思い出しているといつも聴こえてくる曲は藤山一郎の「東京ラプソディー」「私の青空」です、あえてエノケンでなくて二村定一の。


写真は若き日の祖父です。
たぶん、写真を撮ってくれた人が名前をサインしてくれたんだと思うけど、
Y.Mizuhashi (ミズハシ)になってしまっていました。
中学になってそれに気がついた私は、じーちゃんが間違気づいたらショックかも…!と思って
こっそり上からボールペンで Mizubayashi の ya を書き足してしまったけど、
今思ったらそのまま残しておけばよかった(笑)と思います。


4月1日の誕生日がウソである祖父の話でした。
笑える天然な話し方までくわしく書けなくて残念ですが。


じーちゃん、生誕100周年おめでとう~



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私の青空

史さんの天然ムードは隔世遺伝だったのか、、、

世代的にはその中間のぼくは、
「私の青空」は母と過ごした時間を想いだします。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=867318737&owner_id=4204530

イケメン

生誕100年おめでとうございます!

お爺さま、すっごいイケメンじゃないですか。
ちょっと高野寛さん風でしょうか。
ほっぺ、お鼻、口元がレディさんとそっくり(^^)

ikkoさん
隔世遺伝…確かにそうかもしれません(笑)
でも私の母は私よりもっとすごい天然です…
ようするに避けられない遺伝かもしれません、ということは娘も…!

Inoさん
ありがとうございます。
昔はこうやって映画俳優の真似でもするようにポーズをきめて写真を撮っていたのが好きなんです。
名前のサインを入れるのも何か流行りだったんでしょうかね?
プロフィール

水林 史

  • Author:水林 史
  • 富山県、上市町 出身。
    戦前から続く富山の薬売りと東京で銭湯を営んでいる一族のもとに生まれ育つ。
    大学時代より東京〜横浜などでスウィングジャズと日本語ジャズを中心にライブ活動を開始(1999年〜)。

    作詞作曲に目覚め、初主催ユニット「ギヤマン」を結成(2001年~2002年)、明治大正時代の文化や竹久夢二の描く夢二式美人に憧れがあったことから「黒船レディ」と名乗り始める。古き良き時代の洋楽を自作の日本語詞でも歌う。

    2003年ジプシースィングギタリストのキヨシ小林氏の1stアルバム「Django Swing」にボーカルで参加、「上海」「胸の振り子」などのカヴァーで注目される。
    同年、自身が主宰のバンド「黒船レディ と 銀星楽団」を、ピアニストの廣田ゆり氏、ギタリストの塩川俊彦氏と共に結成。
     
    軽やかでほのぼの、ちょっぴり切なくスウィンギーでハッピーな気分にさせる歌が得意。
    スウィングジャズやラテンのリズムをベースに、ユニークな世界観をもり込んだオリジナル曲から、古いジャズソングに自身が日本語で作詞したもの、日本やハワイの古き良き時代の流行歌のカバーなど、日本語で歌うことにもこだわっている。


    「黒船レディと銀星楽団」ではライブハウスの他にホテルやBAR、横浜港の船上、人形劇場から神保町の古本屋まで様々な場所で演奏。3枚のアルバムとライブDVDを発表、TV番組挿入曲や海外のCMにも起用される。
    2009年末で「黒船レディと銀星楽団」及びバンド活動休止。

    育児休暇を経て、2011年〜2017年までアコースティックユニット「girafe」にボーカルで参加、アルバム「春のスケッチ」を発表。

    2012年〜活動拠点を出身の富山県に移し、ゆっくりソロ活動も開始。県内外のミュージシャンと共にライブハウスやカフェ、古本屋、保育園などで演奏、おとなとこどもで楽しめる企画「HOWA-HOWA-HOUR」も誕生。
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