2010-04-01
生誕100周年

今日は4月1日、エイプリルフールですね。
何か素敵なウソをつきましたか…?
日記では家族の話ってあまり書かないんですけど、
今日は10年前に亡くなった祖父の100回目の誕生日なので書いておこうと思います。
でも祖父の事は以前1度書いたかな?
有名なとか好きなミュージシャンとかの生誕100周年とかでもなんでもありません、
でも、私が大正、昭和初期の文化に興味を持ったのは祖父の若い頃の話がきっかけです。
祖父は1910年、明治43年 富山の山奥で生まれましたが、超未熟児だった為に親は多分育たないだろう…と出生届を出さずにいました。現在ではやってはイケないことですね(汗)
でも、小さくても生命力のあった祖父は、みるみるうちに大きく元気に育ってきたので、
だいたい普通の赤子の大きさになって、きりの良い4/1に出生届けを出したそうなのです。
本当の誕生日は2月で、祖父本人も何日なのか知りませんでした。
4月1日がウソの誕生日だなんて…と私は最初少しかわいそうに思いましたが、
祖父は全く気にしていないしエイプリルフールも知らなかったし、
むしろ身体が小さいのに生命力があったのを自慢にしていました。
昔っていいかげんだったんだな~と思いながら聞いていました。
というか、今に比べて子どもはたくさん生まれても育つには厳しい時代だったんですよね。
そんな祖父は11歳の時に東京へ行き、浅草の業平橋で銭湯を営む叔父のもとで働きながら勉強し、たまの休みの日に賑わう浅草の街を歩いた話をよく聞かせてくれました。
ほとんどが苦労話なんだけど、関東大震災で無くなる前の凌雲閣(十二階)や、
手でハンドルを回してエンジンをかける自動車に乗った時の話とか、独立して自分の湯屋をもった時の話、初めて外国人(白人と黒人)を見て驚いた時の話、初めて背広を仕立てた時の話、戦争で中国に行っていた時の話…
戦後富山に帰ってきてくすり屋になってからの話…
とても苦労してきたんだけど、いつもユーモアたっぷり(ちょっと天然も入っていた)に話していました。
祖父の話から昔の東京の様子や今とは全く違う考え方や生活、文化が面白くてしょうがなかったです。それらはどんどん姿を消していって身近で感じるのは難しくなってしまいましたが、祖父を通して触れられたものに沢山影響をうけて今日の私があります。
祖父のことを思い出しているといつも聴こえてくる曲は藤山一郎の「東京ラプソディー」と「私の青空」です、あえてエノケンでなくて二村定一の。
写真は若き日の祖父です。
たぶん、写真を撮ってくれた人が名前をサインしてくれたんだと思うけど、
Y.Mizuhashi (ミズハシ)になってしまっていました。
中学になってそれに気がついた私は、じーちゃんが間違気づいたらショックかも…!と思って
こっそり上からボールペンで Mizubayashi の ya を書き足してしまったけど、
今思ったらそのまま残しておけばよかった(笑)と思います。
4月1日の誕生日がウソである祖父の話でした。
笑える天然な話し方までくわしく書けなくて残念ですが。
じーちゃん、生誕100周年おめでとう~
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